2017.03.28 Tuesday

運命的なもの / 「マチネの終わりに」平野啓一郎

 

天才ギタリストと、国際的ジャーナリストであるアラフォーのふたりの、偶然と必然の波間を漂う運命的な大人の恋愛小説。ある種非凡なふたりの物語ではあるけれど、年齢的に積み重ねてきた現実や諦念といった普遍的な人生の悲哀を共有しながら、読み手はそのリアリティ溢れる大人の恋愛心情に共鳴してしまう。

 

平野さんの小説は、とても思慮深く温かい洞察に満ちているのに、過剰に感情的ではなくある種とてもソリッドな部分があって、それがとても理性的で心地よい。さらに軽薄さの微塵もない清潔さに後ろ盾されたユーモアはとても品が良く、確かな美意識に心打たれます。まさに平野さんご本人のイメージに重なります。

 

若い男女の熱い恋愛小説はなかなか感情移入しにくいけれど、平野さんの書く恋愛小説は、例に漏れず深い洞察と示唆に富み、読み手は共感する以上にさまざまな気付きに誘導され、開眼させられるのです。"会ったのはたった三度"という非常に特殊な愛の生い立ちとその「感情生活」(という言葉を平野さんは序文で使っていた)を、小説というカタチで最も親しい目撃者として辿る読書体験は、贅沢他ならない。

 

この小説は主題が複数あり、それらが見事に絡み合っていて、その複雑な人間活動のリアリティに引き込まれます。読み方(読み手?)によってその主題の抽出は変わる気がしますが、ネタバレを避けながら、私が個人的に幾つか感銘を受けたポイントをまとめました。

 

偶然なのか、運命(必然)なのか

 

運命的な恋は、必然のような偶然によって着火される。偶然には、平凡な出会いを運命の出会いに変えるチカラがある。一方で、多くの偶然は、必然にすらならないまま過ぎ去っていく。なにが偶然を必然たらしめるのか。それはあくまで後の解釈であり、振り返るその時の視点によって意味づけられた過去のありようである。

 

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は未来は常に過去をかえてるんです。変えれるとも言えるし、変わってしまうともいえる。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

 

本作で何度も登場する、有名すぎる一節。どんなに前向きに生きようと、過去を全て忘れ去ることは難しい。過去に引きづられないで生きることは、大抵の人にとって容易ではない。そんな中、この一節によって過去ー現在ー未来というリニアな時間観に、まったく別の主観世界という側面があることに気付かされる。こんなにも優しく過去を照らし、未来に希望を繋ぐ言葉にかつて出会ったことがない。現在の新たな気づきによって、過去が、その意味がどんどん塗り替えられて行く…。物語の中では、そんな瞬間が度々描かれている。

 

数限りない出会いや人間関係の交錯の中で「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら…」(あれ?小田和正?笑)「明日になれば君をきっと今よりもっと好きになる」こともなかったかもしれない。恋愛の始まりは、あの日あの時あの場所で出会った偶然そのものではない、その偶然に意味を見出した2人だ。

 

物語のなかで蒔野と洋子は会えない日々の中で「話したい/語り合いたい」という焦燥に互いの想いを昂ぶらせている。始まりは、お互いの才能や生い立ちへの、羨望や尊敬を基盤とした自己補完的なコミュニケーション欲求だ。ただし、愛する人との出会いは新たな自分との出会いであり(同時に別れというのは、その人といるときの自分を失う欠損であるからこそ)向かい合うふたりの対話はかけがえのないものになっていく。私たちは、出会いに対して主体的でなければならない一方で、その意味付けはかくも不確かな自己充足であるということはとても現実的だと思った。それを過剰な演出で取り繕わない平野さんの理性的な物語の運びがすごく好きだ。

 

幸福への罪悪感

 

ふたりの主体的な意思が偶然の出会いを必然たらしめた一方で、逆らう術のない運命論こそが救いとなることもある。凄惨な戦争を目の当たりにしながらもなお、清廉な志と強い職業意識を持ち続けた結果「自らの無力さへの自責」に苛まれる洋子に、映画監督である父がかけた言葉がとても印象深かった。

 

自由意志というのは 、未来に対してはなくてはならない希望だ 。自分には 、何かが出来るはずだと 、人間は信じる必要がある 。そうだね ?しかし洋子 、だからこそ 、過去に対しては悔恨となる 。何か出来たはずではなかったか 、と 。運命論の方が 、慰めになることもある 。

 

洋子は、イラク赴任中に遭遇したテロによってPTSDを抱えた不完全な自分を、愛する人に委ねることを拒んだ。もとより、自分の中に相手への恋情を感じた途端、人は臆病になる。全て明け渡して落ちてしまいたいと願う心とは裏腹に、相手を慮るがゆえ、自らの全てを受け渡せない。しかしそんな自分の弱さを、自分で引き受けようとする大人の覚悟が、時に悲しいすれ違いを生み出すこともある。

 

多くの理不尽や人生の不平等さを知る大人だからこそ、謙虚さや人生のあらゆる悲哀に対する思慮は深まる。そして同時に、そういった現実に誠実であろうとすればするほど、己の無力さに罪悪感は募る。そういった罪悪感は、自ら掴みかけた幸福をかき乱すこともある。愛する人を含めた世界に対して誠実であり続けようとすることは、希望と諦念の間でもがき続けることを意味する。

 

静寂、あるいは沈黙

 

この小説は、全編に渡って、クラシックから往年の名作ポップスまで様々な音楽が登場する、美しい音に溢れた物語である。でも一方で「音楽の美 vs 静寂の美」という音楽理論から、コンサートホールの静寂、死者たちの沈黙、洋子の父の沈黙、天才ギタリストのスランプなど、真空のような静けさが各所に散らばっている。

 

たとえば会話の中の一瞬の間。または語られようとして飲み込まれた言葉達が譲った席には、沈黙が鎮座している。それらの静寂が意味するものは、心の距離が移動する時間だったり、未来へとのびる希望と諦念の分岐点だったり、物語の転換点のような意味を持っている。

 

転換のための静寂、あるいは沈黙。私達はあまりにも多くの喧噪に囲まれていて、耳を澄ますことを忘れ、その静けさを見落としてるのではないか。幾重にも重なり飽和した言葉や喧騒に埋め尽くされた現在に、いくばかの静寂を招き入れることで希望なのか諦念なのか、いずれにせよ新しい未来への道が拓けることを感じさせられた。

 

 

***

 

 

最後に冒頭の運命論に戻るが、恋愛のような強い執着には、多少の偶然による思い込みは必須であると思う。わたしはこの本が、すごく好き。恋してるみたいに、出会うべき時に出会うべくして出会った、特別なものな気がする。でももし主人公がギタリストでなくバイオリニストだったら…?ここまでこの作品に執着しただろうか?

 

ギター弾きだった父(今も健在だけど、10年ほど前の事故で左手の指を無くしてからもうギターを弾かなくなった)のお陰で、幼少期から数々のクラシックギターの名曲をよく耳にしていた。休日にステレオから流れるナルシソ・イエペスのアランフェス協奏曲、なんとかのひとつ覚えみたいにぼんやりと遠くを見ながら父が奏でるアストゥリアス、アルハンブラの思い出等、クラシックギターの音は、父親との繋がりや無邪気な子供時代の自分を感じさせられる。だからこそ、親しみや愛着を感じるのかもしれない。

 

愛することは、その人の過去も未来も人生ごと引き受けることだとしたら、今その瞬間だけでなく、未来にのびる線をつなぐ、もうひとつの点がきっとある。たとえば過去の繋がりのようなものが必須になってくる。それが凡庸な出会いを運命に変える条件なのかもしれない。

 

と、相変わらず最後が雑…長文乱文失礼しました。

とにかく、美しい音楽と、分人主義や死生観など平野さんらしい哲学的な示唆に富んだ素晴らしい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、コンピレーション・アルバムの演奏をされている福田進一さんの、このアルバムのタンゴ・アン・スカイがすごく好きです。奏者によってずいぶんと変わる曲ですが、個人的にはこの緊張と弛緩のバランスが一番好きです。

 

2017.03.03 Friday

相対的自我の葛藤 /「砂の女」安部公房

 

ずいぶん昔に読んだけど、今まで読んだ本の中でも圧倒的に不快で、活字で扇動されるそのなんともいえない気疎さが、ものすごく身体的で、ゆえに恐ろしくて、印象的だった。

 

週末お酒の席で話がでて、ふと検索したらフルバージョンyoutubeに上がってることを知り、眠り際うつらうつらしながら2時間。

映像でみる砂地獄は、驚くほど、活字で読んだときに頭の中に広がった光景そのもので。その地獄は “社会的な”人の自我を、濡れ和紙を重ねて息の根を止めるみたいに少しづつ、でも確実に毀損壊滅する。その陰湿な威圧感を前に、人が持つ社会性が如何に脆く危ういものか。狂気が人ひとりの人生をいたぶるように飲み込んでいく光景は、身震いするほど恐ろしい。紙一重だから。

 

ところで安部公房の小説は、すごく男っぽい。「箱男」「壁」しかり。男性作家の作品にも、大なり小なり女性ぽさは、ある。安部公房の作品には、それをまったく感じない。男は乾いていて、頑なで、stiffで、偏執的で、孤独で、いつも社会性の中で溺れている。登場する女たちは大概「なにか柔らかいもの(または性的なもの)」であり、理解の対象ではない。女の私には、そんな安部公房の世界が、ものすごく「男」に見える。性や暴力ではなく、相対的な自我によって生み出される葛藤と狂気。

 

囚われて、そして自我を失っていく人の姿でいうと、桐野夏生の「残虐記」もそうでしたが、「砂の女」の凄みは、ストックホルム症候群の叙情的なドキュメンテーションではない。そんな男性性の抱える危うさを、身体的な“自我との対話”まで昇格させる。砂地獄(乾き・砂まみれのセックス)という不快極まりない舞台は、読み手の身体的記憶に訴えかける。そして凄まじい気迫で、“自我”というリアリティに迫ってくるのだ。

 

こんなすごい映画がyoutubeで全部見れちゃうとか…!

 

 

 

 

2017.02.22 Wednesday

後悔を受け入れること /「Tokyo Love Story ~After 25 years~」 柴門ふみ

 

東京ラブストーリー、その後。再会したリカとカンチ。そしてさとみ、三上、尚子と勢ぞろい。抗えない過去と、積み重ねた時間の重さ。単行本にはビックスピリッツに掲載された話の続き、三上とさとみのエピソードも描かれているけど、やっぱりリカリンに泣かされる。再読なのに鼻が詰まるほど泣いた。

 

最大の号泣ポイントは、リカの息子への教えの一節。

 

「大きくなって、本当に何もかも大好きな人に出会ったら…すぐに結婚するのよ。手放しちゃダメ!大好きな人を手放しちゃった、それがママの人生、たったひとつの後悔」

 

後悔。

 

リカほどの勝ち気な女が、人生に後悔を残すのか、というショック。過去の悔恨は、未来において現状肯定のための不可欠な失敗として正当化される。過去の正当化は、未来へ前進するための原動力なのだ。激辛たこ焼きロシアンルーレットで、「あー!あっちの鰹節パリッパリのほうにしとけばよかった…!」ってレベルの後悔とはわけが違う。

 

もしもあのとき…。 その「もしも」の未来は、自分が生きているかぎり影となってつきまとう。数々の分かれ道の果てに、今を生きている自分は、選ばれなかった未来の「そうじゃない自分」とともに生きているとも言える。後悔とは、そんな深い影を常に背負い振り回され生きていくことだ。後悔は人生を生き辛くする。

 

大好きな人を手放した後悔を背負って不自由に生きる。最初はリカの強さゆえの生き様と思ったけど、違う。リカは、自分の人生を生きることをやめていた。息子のため、見知らぬ若者たちのため、末期を迎えた元不倫相手のため…。自分の人生を生きるのをやめたリカだからこそ、その後悔を受け入れられるんじゃないだろうか。自分の人生を手放すことで、カンチを手放した後悔をいつまでも温め続けている。

 

かつてリカは、全力で全てをさらけ出して、カンチにぶつかった。それでもなお、カンチはリカを受け止めてくれるのか、まるでカンチを試すように。カンチを好きで、カンチを好きな自分が好きだったから、リカはカンチを好きでいるために、ぶつかり続けた。そして、カンチのキャパが決壊する前に、カンチへの愛を手放すより、カンチを手放すことをリカは選んだ。

 

リカはそういう女だ。それは、大事なものを守るために全てを捨てる意思の強さといえばそうなのかもしれない。

 

再会したリカの変わらぬ姿に「いい女になったなぁ/ホントになんでオレたち別れちゃったんだろうなぁ」と呟いたカンチの言葉にリカは一瞬苦しげな表情を見せる。「オレにもう少し強い気持ちと覚悟があれば、二人に別の人生がー」と思い巡らせるカンチはリカほどの暗い影を背負っていなかった。 カンチへの大き過ぎる愛は、重過ぎる後悔に形を変え、25年後もまだリカの中に息づいていた。東京ラブストーリーは、25年経っても変わらぬ、リカリンの人生をかけた壮大な片思いのお話だった。

 

 

  

2017.02.20 Monday

Perfume / Dior Poison

 

 

Pen + iPhone App (iPaint)

 

 

Favorite Perfume

 

Autumn Winter and Spring, Hypnotic Posion

Summer, Pure Poison 

 

ヒプノティックが終売で本当に悲しい....,

2016.11.21 Monday

A Penguin Hug

 

 

ぎゅっ。

 

 

Illustration

 

Pen

iPhone6

Paint App

2016.06.03 Friday

Crystal Border

 

境界線のようなもの。

 

 

Illustration

 

Pen

Color Pencils

 

2016.06.03 Friday

A Cat in a Straw Hat

隠れているようで、隠れていないようで。

 

 

 

Illustration

 

Pen

Iphone6

Paint App

2016.06.02 Thursday

50号のための習作

 

バーカバーカ

 

 

Oil Pastel

 

2016.04.14 Thursday

Birthday Four Roses

ごちそうさまでした。

 

 

 

Illustration

 

Pen

iPhone6

Paint App

2015.03.22 Sunday

黒猫鱗

cat3.jpg

つめたいしずくが目に入るから、ぎゅっとまぶたを閉じていた。
ずっと目を閉じていたから、ねこは気づかなかった。
手を差し伸べられていることに。
 
貧しい旅人は、孤独な旅の途中でそのねこに出会った。
ぬかるんだ道を叩きつける雨音だけが響く、暗く年老いた街。
冷たい雨をしのぐため、街の家々の扉は固く閉ざされていた。
 
雨降る街の片隅で、ねこは旅立つ日を待っていた。
子供のころおとなのねこが言っていた、ねこの楽園。
ぽかぽかと、ぬくぬくの、楽園。
ながいながい道のりを歩いて、ねこの楽園を目指すのだ。
 
旅人は厚い雨のカーテンの向こうに、小さな黒い影を見つけた。
震えるふたつの尖った耳。ずぶ濡れの足元にまきつく短いしっぽ。
黒くつややかな毛皮は雨に濡れて、
とげとげしたうろこのようにその小さなからだを包んでいた。
 
ねこは待っていた。雨がやむのを。
ぬかるいだ道が足をとらえ、冷たい雨が体温を奪う。
きっとまだ、今じゃない。
雨がやんだら、ならされた道をしっかり踏みしめて歩いていけばいい。
そう思っていたから、ぎゅっとまぶたを閉じてお日様が戻るのを待った。
 
傘も持たぬ貧しい旅人が、手を伸ばした。
ふるえるちいさなねこに、こちらへおいでと招くように。
せめて彼の胸の中で、雨をしのげるようにと。
でもねこは気づかない。
 
ねこは待った。雨が上がるのを。
その足で道を踏みしめて歩き出せるときがくる時を。
ふわふわの毛皮を、とげとげのうろこに変えて、まんまるな目をしっかりと閉じて。
雨に負けないようにぎゅっと目を閉じて。
 
差し出された旅人の手が宙を泳ぐ。
 
つめたいしずくがめに入るから、頑にまぶたを閉じていたから、気づかなかった。
ねこは、温かい手を差し伸べられてることに気がつかなかった。
 
慎み深い旅人は、静かに歩き去った。また次の街へ。
 
やがて雨が上がった。
おひさまが顔をだし、ぬかるむ道は固く締まった行路となった。
道はきっといつか、ねこをふたたび旅人のもとへ誘う。
 
ねこの黒い毛皮がふわふわに乾いて、
そのベルベットのような背中が優しい旅人の手を受けとめる時まで、
たぶんねこはこの道を歩きつづける。楽園をめざして。
 

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